1、栃木から来た丹前姿の観光客2名と会った。松軒旅館に泊まっているそうである。景気やら旅程やらいろいろ雑談をしたなかで、面白いところは有るかときかれた。9月市子連大会で大曲に行ったとき、気仙沼交通の運転手も面白いところがどうのこうのという話をしていた。
面白いところとは要するに女を買えるところ、売淫出来るところを意味しているようであり、観光客は景色、名勝地の探勝、おいしい食べ物の試食などの目的と同じく、かかる面白い体験をも内々、時にはおおっぴらに目的としているようである。
行きずりの観光地で行きずりの女と、言わば旅の恥は掻きすてという感じで精神的結合のないまま、身体的結合を果し、その結果一体どの程度の性的満足感を得るのであろうか。何処そこの女は良かったとか悪かったとか、顔つきから容姿、更には局部の具合まで批評することから推量ると、性的発散によりそれなりの、言わば自慰よりましな充実感を得ることは出来るのであろうが、ハタから観れば滑稽とも思える悲しい男の性である。
2、終戦時、満洲蒙古で捕虜になっていた女子、或いは撤退中の日本人女子特に若年の妙齢の女性がソ連兵、中国兵より暴行を受け、恥辱を受けた例は数多く聞くところであるが、先日の朝日新聞にも、ソ連軍司令官より日本人女性の接待を要求され、1人の未婚の若い女性に白羽の矢を立て、彼女が嫌がり、断固拒絶するのを無理矢理に説得し、提供した記事が乗っていた。 犠牲になった女性は非常に気の毒で、可愛そうであるのは勿論であるが、斯くしてまで女性に対し欲求を抱き、もとめ、性欲を満たそうとする人間の雄という種類も哀れである。
人間の雄は、なんぴとも女性に対する欲情を持っており、これぞと思った雌に対して、言い寄り種付けをするのが自己の職務であると心得ているのであり、通常は、理性という自然の目からみればすこぶる理不尽なお目付役の監視のため、押えつけられ、沈黙させられているのであるが、戦時などの極限的場合においては、チャンスとばかり表面に出てくるのである。
3、女性がかかる場合において追い詰められて感じるのは、一面において、倫理観及び社会意識の問題である点からすれば社会の責任であり、当人の意識の問題である点からすれば教育の責任でもあろう。女性の性的純潔を非常に尊いものとしてあがめ、非処女を不純なもの、卑下すべきものとして評価する社会の責任が問われ、批判されなければならないと思われる。